-世の中に芸術が必要ない状態が、健全な世の中なのかもしれない-
これは、友人の版画家Nのコトバ。
確かにそうだろうと思う。
人のこころは虹色。
どこかに光があって影があるんだよなあと思うばかりです。
でもそれは、暗いことでは決してなくて、今のありのままを受容出来て、初めて何をしようかな、どうしたら良いかなって、
将来の視野が広がっていくのだろうと思います。
人は、自分の鏡のようなもの。
もしも、うまくいかない関係があるとすれば、それは、相手の現実が見えていないからなのかもしれません。
理解は、そこから始まるのではないか。
そこからが、本当のスタートなのではないか。
だから、対話が必要なのではないか。
過去の写真を見ていたら、
まっぷる静岡の取材で出掛けた
ヴァンジ彫刻庭園美術館の写真。
以前は、わからなかった作家の作品。
なんとなく、実感を伴って響くようになってきたのです。
閑話休題。
昨日、住宅の取材に行きました。
カメラマンにどうしたら、うまく撮影意図を伝えたら良いのか解らない。
そんな話。
彼は、野球好きだから、
「野球のグローブって、おなじ守備位置の同じ用途のグローブでも、複数の種類があるんじゃない?それを、写真に撮ってもらおうと思ったらいろいろ湧いてくるんじゃないの?」
と聞きました。
「あ、そうですね。縫い目や網の作りがかなり違う。そうか。そういうことか!」
誰にでも、好きなことはあるのです。
その好きを何かに置き換えたときに、きっと繋がる。説明出来る。
住宅だったら、その家の何が良いのか。なぜ好きだと思うのか。
そのことをもっと伝えることが出来たら、きっともっと良い写真が得られるのではないかと思います。
対象を受け入れて、興味を持って接すること。
それ以外に、解決の方法はないのではないか。
そう思うのです。